夢応援プロジェクト

冒険家 阿部雅龍

世界中を冒険して”チャレンジする楽しさ”を伝えています。
目標は秋田の先人白瀬矗中尉が成し得なかった人類未踏ルートでの南極点徒歩到達。
夢は地元秋田に冒険学校を設立する事。

先人の夢を継いで南極点に立つ

冒険家 阿部雅龍
冒険家 阿部雅龍さん

阿部雅龍 南極点に立つ

僕が目指しているのは秋田県の偉人・白瀬矗中尉の夢を継いで南極点まで歩く事です。
その冒険を通して、人の夢が引き継がれて行くことを証明したい。
白瀬中尉は100年以上前の1912年に探検隊を率いて日本人として初めて南極を探検しましたが、南極点に達する事は叶わず帰還しました。彼の最後に到達した地は大和雪原として名前が残っています。100年以上経った今でも彼の描いたルートは人類未踏のままです。同じ秋田県人の僕が大和雪原まで行って南極点まで歩くことで先人の夢を完結させたいのです。
この冒険で、人の夢は100年経っても終わらない事を証明し、僕らの仕事も未来の子供たちが引き継いで行くことを示します。

普段の仕事 人力車

阿部雅龍 人力車

冒険のトレーニングを兼ねて日常は東京浅草で人力車を引いています。イベント業や婚礼を人力車で請け負う事もあり、トラックに人力車を積み込んでどこにでも行きます。

人力車を引いて旧国一宮巡り(6400km,220日間)、秋田一周(720km、30日間)などもしています。

冒険のきっかけ。冒険を夢見る病弱ないじめられっ子。

阿部雅龍 冒険のきっかけ

冒険を始めた理由は、夢が持てなかった学生時代に、冒険家の大場満郎氏に出会ったことがきっかけでした。
どちらかと言えば病弱で、いじめられっ子体質だったからかもしれませんが、幼少期から探検家や冒険家の話が好きで、無理だとも思える困難に情熱と勇気を持って立ち向かって行く冒険家達の姿は、僕のヒーロー像であり、憧れの存在でした。当然私も、「いつか世界中を冒険する」と思っていました。ところが大人になるにつれて、「夢なんてかなわない。夢を追う生き方は他人に認めてもらえない」と考えるようになったのです。
それでも、冒険家になる夢を心の隅に持ったまま大学に入り、4年生になろうとしていました。その時自分に問いかけました
「僕が生きたい人生とはなんだろう?」と。

生きるということに迷っていたとき、ある記事を読みました。それは、世界で初めて北極と南極を単独で横断した極地冒険家の大場さんでした。
大場さんは、「なぜ冒険に行くんですか?」という問いに、「笑って死ねる人生がいい。人生は一度しかない。だから冒険がしたいんだ」と話していました。
衝撃を受けました。彼みたいになりたい。僕も夢をかなえたいと。

大場さんが冒険学校を山形で設立しているという情報を知り、周囲の反対を押し切りながら大学を休学し、大場さんのもとに向かいました。
それ以来私は、幼い頃に夢に見た冒険家という生き方を続けています。強い決意があれば人生は変えられると知り、人生は変えられるということを多くの人に伝えたく、学校などを中心に講演活動と冒険の共有を続けています。

夢は地元秋田に冒険学校の設立

阿部雅龍 冒険学校の設立の夢

夢は地元秋田に冒険学校を設立して次世代の子供たちに挑戦する心を伝えていく事です。
どの時代においてもチャレンジは必要です。
チャレンジする事が常に新たな物を生み出してきました。
子供たちが冒険家になる必要はありませんが、人生の冒険家になる必要はあると感じています。世界中を冒険してきて挑戦する事の素晴らしさを実感してきました。
僕も恩師の冒険家にの冒険学校で大切なことを沢山学びました。そんな場を地元秋田にも作りたい。アウトドアアクティビティなどを通してチャレンジする楽しさ、自分の得てきた経験を次世代に伝えていきたいです。

プロフィール

阿部雅龍(夢を追う男・人力車夫・冒険家)

1982年生。秋田県出身。冒険家大場満郎氏に影響を受け、秋田大学在校中から冒険活動を開始。 100年前の同郷の探検家白瀬矗中尉の足跡を伸ばしての人類未踏破ルートでの南極点徒歩到達を目指す。普段は浅草を拠点に人力車夫として活躍。 将来の夢は、次世代を育成する冒険学校を地元秋田に設立すること。 著書に『次の夢への一歩』角川書店 学校推薦図書がある。

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